#お題「披露する機会がないけど語りたい薀蓄(うんちく)教えてください。」
みなさま こんにちは 幸せアドバイザー アラ還@虹子です。
今日は、近くの神社に15日参りに行ってきました。
こちらの神社内にある厳島(広島宮島)神社の分社で、御祭神の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)別名・瀬織津姫、弁財天様がおられます。
私の大好きな、推しの女神様~~~LOVE
梅の花が3~4分咲きで、とっても綺麗でした。
でも今日はめちゃくちゃ寒くって手の感覚がなくなるぐらいの寒さでした。
到着したときは曇りでしたが、お参りしていたら写真のようにお日様が出てきましたよ。神様の歓迎のサイン?ですね。感謝
せっかくなので、今日は神道のお話をさせていただきます。
神道とは、与えられる物でも、神に願い、すがる物でもありません。
日本初代天皇の「神武天皇」はご即位の際に「自ら(神武天皇)が正しい道を行いその心を広め国を守りたい」と言われたそうです。
神から正しい生き方の指示を与えていただくのを期待するのではなく、自らが学び取り、より善く生きようとするその姿そのものだといえるのでないでしょうか。
そういう生き方を神道では【道徳】と呼びます。
道徳こそ神道の在り方なのです。
神道の神とは何なのか、何のために存在しているのか・・・
神道で言う神とは「自然そのもの」であり、すべては「感謝するため」に存在します。
神道では、神はすでに多くの物を我々に与えて下さっていると考えます。
今、この瞬間に私達が、こうして生きられてこと、それ自体が神が多くの物を与えて下さっている証拠です。だからこそ神にはただ感謝するだけなのです。
多くの物を与えていただいていることに常に感謝しつつ、神の姿(自然界)から自ら学び取り、世の為人の為、人としてより善く生きようと努めます。
そういう道徳的な生き方こそ神道の真髄だと言えます。
人は、生きる為に自然界の命を頂いて私達の命は繋がっています。
しかし、人にとって都合の悪い木を切ったり、山を削って道を作ったり人間の都合で自然を作り替えようとします。
その罪が穢れとなって私達の身体についています。
その穢れを落とすのが、禊やお祓いです。神のお仕事です。
お参りの際の神拝詞でも「祓いたまえ清めたまえ神ながら・・・」と言います。
そして、命を繋いでいただいて自然界の命に感謝する。
その姿こそが神道だと言えます。
私のブログ【#神社の正しい参り方】意外と知らないお参り作法の中でもお話しておりますので、よろしければご閲覧下さいませ。
それでは、今日はこの辺りで・・・
ご閲覧いただきありがとうございました。
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